私がした行動。おせっかいかもしれない。
お盆におばあちゃんのところに行った時に立ち寄りました。
大きな木に楽器がたくさん。
色とりどりで。
今日あったできごとを。
一日、気分が晴れなくてイライラしてしまっていた私。
実家に遊びに行ったものの、気持ちの切り替えができず。。。気分転換に、長男と一緒に公園へ。
そこで、いとこなのか兄妹なのか、ちょっと大きいお姉ちゃんやお兄ちゃんがいて。最初は楽しそうだったんだけど、次第にふざけ合いからケンカっぽい感じに発展。
大きい子が小さい子を力づくで抑えてていて、しかも泣き声もすごくて。それを見て見ぬふりもできたんだろうけれど、
おーい、ケンカやめなねー!ケガさせないでねー!
と大きな声で、その場から呼びかけました。
こんなこと、前だったしなかっただろうなぁと。息子にはあまり見せたくない光景だなとも思ったし、お節介な人だとも思われたくないなとも思ったけれど、力で人を支配することはいけない。と、止めてくれる人がいたら、声をかけてくれる人がいたら、状況がこれ以上ひどくなることはないかと思って。
躊躇する前に、行動することで、その場がかわるなら。自分に子どもがいるから、そうおもったのかもしれない。
その後は、相手が変わってまた何かしらケンカが始まったので、
おーい、ケンカやめなね。泣き声が響いてるよ。みんな見てるよ。早く帰りなねー。
その一言を言って、息子とその場をはなれました。
おせっかいかもしれないし、しなくても良かったのかもしれないけれど、今日の行動に後悔はない。
次、同じ公園で会った時に、楽しく遊んでいたらいいな。
この木みたいに、楽しそうな子どもたちが見たい。
出来るようになってきたこと
久しぶりの投稿になりました。
1ケ月半ぶりくらいでしょうか。
書く気が起きないというか、書いている間も無く、日常に追われていたという方が正しいのかもしれません。
子どもたちが夏休みに入り、仕事の間長男は幼稚園のお預かりへ。お預かりの時は、お弁当持参。ということで、強制的にお弁当作りの毎日へ。
私は作り置きよりも、その時に食べたいものをその時に作りたい人。だから、作り置きしても今まで続かなかったし、作り置きに意味を見いだせていなかったのだ。
しかし、1週間続けてみると、これが自分を楽にしてくれるということのなのだ、家に帰って来てからが本当に楽になりました。
気持ちに余裕が生まれると、家も綺麗にしたいと思うように。疲れていたら、食器も洗わずに寝てしまって、朝が大変だったり。掃除機も、汚れているのが気になるけど、まぁ次の休みの時にしたらいっか。。。と後手後手に回して、自分で自分に罪悪感を持ったりしていたけれど、それが少しずつなくなってきた気がする、という実感が。
一つできるようになると、連鎖的にできるようになることもあるのですね。
サボりたくなる時があるけど、出来る時にボチボチやっていきたい。
まるっと受け入れたい
モノゴトの表面と結果しか見ていなかった私。
モノゴトを色んな方向から見て、そして、その過程を知ると、勝手に自分が落ち込んでいたり、怒っていたり、ショックを受けたりしていることに気がついた。
それぞれに色んな思いがあるんだなぁとか、私の頑張りが足りなかったわけではなく、色んなタイミングとか兼ね合いがあった結果そうなったんだなぁと冷静になることができた。ここ数日、モヤモヤした感情がクリアになった、そんな感じがした。
多方面からモノゴトを見ることが出来るようになりたい。そして、自分の感情に振り回されない、サラッと受け流したり、切り替えが出来る自分になりたい。それもふくめて、まるっと丸ごと自分を受け入れることが出来る自分にこれからなっていきたい。
そんなことを思った。
はい、おばちゃんです!
私は中身と外見が一致していないようだ。
外見は、丸顔の童顔なので、年齢よりは若くみられているかも。
中身はというと…
おばちゃん‼︎笑笑
と、言われて面白いほど納得‼︎
だからか!と。
学生の頃は若者らしく楽しそうな同級生の中には中々馴染み切らず、どちらかというと話すよりは聞き役、そして相談するよりはされる方。ちょっと遠くから離れてみているくらいが居心地がいい感じ。それをコンプレックスにも感じていた。
今は今で、学生の頃とは逆で、自分よりも年上の方と一緒にいる機会が多い。でも、不思議と年齢差は感じない。むしろ、話していて楽しいし、学ぶことも多い。(友達のように砕けきった話し方で話してしまってごめんなさい)そして、ありのままの自分をさらけ出しているという、とってもありがたいこと。
学生の時は同い年の人と一緒にいることが多いけれど、社会に出て仕事をし、結婚し、出産して子どもを持つと、自然と色んな年代の方々と触れ合う機会が出てくる。異年齢の中にいることは楽しいし、難しいと思うこともある。
だけれど、
そのままが一番‼︎
と言って貰えた時の嬉しさと言ったらない。
このままの今の私を受け入れて貰えるって、とても嬉しいし、自信になる。
私は私。
自分の世界に色をつけて、楽しもう。
長いひとりごと。
梅雨に入ったのというのに、晴れ間が出て、蒸し暑いくらい。
6月に入り、子どもたちも私も、体調が優れないことが多かった上旬。
気持ちもうつうつとしていました。
3月に職種が変わり、わけもわからず突っ走って来たように思います。私が自分に掲げた目標は3ヶ月は続けるということ。そこで自分が本当にやっていけるか判断できる一つの材料になるのではと思ったから。
全く畑違いの仕事は、覚えることも違うし、関わる人の多さも違ってくる。色々な価値観の人たちがいる中で、悩むこともあるし、でも自分の中で処理しようとやってみた。でも、パンクしかけたものは元に戻すことも難しくて。
やっと、自分が信頼できる人に話すことができた。それだけで気持ちも少し楽になって、視界もぼやけていたのが鮮明になった。でも、まだ解決はしていない。
気の持ちようなのかもしれない。
一番、私が仕事をするにあたり、だいじにしたいと思っている部分に気づくことが出来た。
それは、ひとを大切にしたい。大切にされたい。
ということだ。
これから先、どうなっているか想像してみる。その時に、わたしはこのことを根っこにして考えてみたい。
地味な私からの脱皮
最近、明るい色の服を着るようになりました。学生の時から、明るい色の服が好きだっだけれど、長男、次男と出産してからは、なぜだかわからないけれど、目立たない色の服がメインに。もちろん、ネイビーも好きだし、グレーも好き。だけど、その下にあったのは、″お母さんらしい服を着る私″ということ。
ただ、それだと、私にとっては気分が上がるはずもなく笑
それを決定打にしたのが、ある講座。
第一印象をお互いに言い合うものだったのだけれど、私にとってその言葉は一番痛かった。
″地味″
まさにその通り。
この言葉が決定打になって、私の中で、
着たいものを自由に着る!
という、他の人にとってはそんなことか、と思われるかもしれないけれど、そんなことが自分を変えてくれるのだ。
これまで、気持ちに制限をかけていたのは、私自身であって、自分がどうしたいのかは私が決めていいんだ、と許可を出すことが出来た。
そしたら、似合うね!やいいね!、おしゃれだね、と言ってもらえることが多くなった。もちろん嬉しい!洋服を着ることも楽しいし、鏡を見るのも、メイクをするのもたのしい。自分をご機嫌にすることが一番楽しい。それが、周りにも伝染する。
なぜだか、やりたいと思ったこと、会いたいと思った人にもあえたり、とにかく実現したいこと、こうなったらいいな、こうならないかなと思うことが一気に押し寄せてきたように思う。
今一番欲しいものはワンピース。明るい色の。
これを着て、夫とデートしてみたいものです。
腑に落ちる、ということ
今日は、久しぶりにおひとり様時間を貰いました。
職種が変わって1ケ月。
働き始めてから1年。
子どもたちも進級し、バタバタな毎日。
仕事が終わると、すぐ、子どもたちのお迎えに向かい、帰宅後はご飯作りに、お風呂に入れて、気がつけば一緒に寝落ちしてしまう…という日々。
いっぱいいっぱいになっている自分がいました。
気持ちをリセットしたいし、ゆっくりする時間も欲しい、ということで1日自由時間を貰ったというわけです。
お友達とランチをして、その後
髪も切りに行きました。
初めて行った美容室。こちらも、気分を変えたくて、気になっていた美容室に予約を入れました。運良く、ランチ後すぐの時間が予約を取れて、なんてスムーズなスケジュール!と、ウキウキ。
自分だけの荷物、1人で行動する、なんて身軽!と、足取りも軽いし、周りの景色も普段と違ってゆっくり見ることが出来ました。気づけば、もう葉桜になっていた桜の木。来年はゆっくりお花見したいな、と思いながら歩きました。
美容室では、初めて来たのに私の好みが丸わかり!な程、好きなテイストを提案してもらい、髪質も丁寧に分析して説明して下さって、今まで自分の髪のことで疑問に思っていたことが全部解決しました。腑に落ちるとは、まさにこのこと。
話を聞きながら、私はなぜ?どうして?が解決して、しっかり自分の中に落とし込めないとスッキリしない、曖昧は好きではないのだと再確認。
何より、担当して下さった方がとても話しやすい。緊張したり、良い意味で気負うことなくお話することが出来ました。しかも、お店のゆったりした静かな雰囲気も好み!人との距離感をとても大切にされているのだなぁと感じました。
私もそうなりたい。
素直にそう思いました。
そして、その方との話をする中で印象に残ったことが一つ。
”自分はどういう理由、信念があって、こういう行動をしているのか、ということが大事”
行動する理由を明確にすること。
それがあるから、こうしている。
行動する時に、自分をそこまで掘り下げている。私はどうかな?と考えるキッカケを頂きました。
腑に落ちるって、次へ進むために、とても大切だなぁ。
とても、心地よい、スッキリした気持ちになることが出来た1日でした。